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妄想 一人ぼっちの冬山登山

真夏の夜に!

笹ヶ峰高原 冬
夜が明ける直前に、眠気眼をこすりながら、妻のいる寝床へいき、体位を交換する。
 そのまま、起きてしまう事もあるが、また、寝床に戻り、7時ごろまで横たえることもある。
 朝のジョギングは気持ちいいものだが、夏日の元では、ちょっと憂鬱である。
 川辺の公園を走る。
敷地の長さが2キロ以上もある、そっけないところだが、
 水の流れと、木々の輝きと、時折覗く富士山や、甲府盆地周辺の山々が出迎えてくれるささやかな楽しみがある。
 自宅から5キロほど走って帰ってくる。

再び、体位交換をする。
 何も予定が無ければ妻はまだ起きない。
 朝食を作り、部屋の片づけをし、起きてくるのを待つ間、ベランダの草花の水遣りやネット検索等をする。
 10時ごろ、起しに行く。
 すんなりは起きない。
 着替えさせ、洗濯物をまわす。
 車椅子移乗とそのあとの洗顔は本人ができる。
 ようやく朝食。
 どんなに遅くても、二人で一緒に食べることにしている。
 食後のドリップコーヒータイムは妻の譲れない行動だ。
 洗い物、掃除をし、ようやく朝のルーティーンが終了する。
「えーと。確かに、ダムがあったはず。」
「なんて名前のダムだっけ。」
「くさいぐら尾根。」
「このなまえ。一度耳にすれば、印象に強いから、40年たった今でも、おぼえているな。」
「おー、あったあった、今でも、登られているのかあ。」
昔は、道があったらしい、今は、藪になっている。
登山道にはなっていないということだ。
残雪のあるときに登られているらしい。
そういえば、
尾根の取りつき近くには、山小屋があるではないか。

「これは、、、、、記憶にない。」

もう、お盆を過ぎると、ミンミンゼミが、子孫を残すべく、吾競って鳴き声を響きかせる。
それにしても暑い。
世間では、実家に還る、お盆には墓参り、アウトドアキャンプに海水浴、高原での別荘ライフ、
それらの逆手をとって、自宅で普段にない、高級食材を取り寄せ、グルメに舌鼓をうつ。
だが、

ここでは、いつものように時が流れる。、、、 
「新型コロナ渦であっても、なくても、、、。」
  繰り返しの毎日。」
「窓の外、四季折々景色がかわるだけか。」
雪まみれの景色の先に、何か、近づいてくる。
「のっし、のっし、のっし、のっし。」
背の高い大男だった。 髭面である。
ニット帽をかぶり、グラスをかけているので、表情をうかがうことは出来ないが、山男そのものという雰囲気だ。
「こんな天候のときに、こんなところで、出会える人がいるなんて。」
彼は真っ先に声をかけてきた。
「雪が深いので、気をつけていきなよ。」
私も、こんな時期にこんなところで、こんな格好で人に会うとは思ってもいなかった。
どうやら、この山脈を縦走してきたみたいである。
その後一言二言言葉を交わしただろうか。
足早に、山を背にして、去っていった。
後で、山岳雑誌で知ったのだが、
この人は、単独で日本のみならず、
海外の困難極める山を登ってきた人であった。
トレーニング場所として、ここを選んだらしい。
だが、この年の夏に、
南米アンデス山脈で一人、散ってしまったという記事が書かれてあった。
日本屈指の豪雪地帯である。
雪は、留まることを知らず、容赦なく、天から降り注ぎ続ける。
当初の予定は、山脈を、縦断するつもりであったが、尾根の途中で、2日ほど、ビバークをすることになった。
雪は降り続いている。
雪洞をつくり、中にツエルトザックを張る。
私は、雪山でも、疲れていれば、比較的苦も無く眠れるほうだ。睡眠不足だったので、ここぞとばかりに、雪が収まるまで、眠りこける。
3日後、早朝、出発することにする。
ちょっとの間、お世話になった、幕場のあった雪面の、自分の体に合わせて踏み固められた、人型シェープが妙にいとおしい。
「くさいぐら」の「ぐら」は岩場ということを意味しているらしい。
尾根はところどころ、雪が競りあがっており、この下が岩場となっているところであろう。
地形図の等高線どおりであれば緩やかなのだが、現場は、このせり上がりの連続が、主稜線までつづいている。
ふかふか雪と、この地形に苦しめられる。
それに股下までの積雪だ。
複数人で頂上を目指すのであれば、交代交代に、雪かきをしながら進むのであるが、
一人では、どうしようもない。
こんなときは、いつも頭に思い浮かばれることがある。
「ひとはなぜ、こんな苦しい状況にも拘らず頂上をめざすのか。」
「なぜ、自分が、こんなことをしているのだろうか。」
山男であれば、共感をおぼえる、言葉である。
やがて樹林帯を抜け、吹きさらしの雪稜になる。
寒い。
雪面が寒風で硬くなっている。
そして主稜線にたどり着く。
すでに、山脈の縦走は断念した。
この天候と、日程を考えれば、無理である。
何とか山脈の頂上であると名のつく、よもぎ山まで、
ゆらゆらと登っていく。
上も下も白の世界。
時折、向かいのだいくら尾根の稜線らしき輪郭が視界を上下する。

頂上に着いた。
だが、山脈の一角を自らの力で落としたという実感はない。
早く、暖かいところに戻りたい。
晴れ上がっていれば、
うねうねと続く、雪をまとった山脈、
修験者が霊峰と崇めいた大日岳の雄姿が、
脳神経に、ずきんと打撃を加えてしまうがごとく、感慨にふけることになるであろうが。
とりあえず、最低限の成果だという義務感のようなものだけしか、頭にはない。
のぼりの苦しさとは裏腹に、下りは、快調であった。
途中でデポジットした、装備品を背負い、下っていく、登りの時のトレースは消えている。
天候は穏やかになってきた。
雪は相変わらずふりつづいているものの、時折、太陽が雲間から見え隠れする。
きつねだろうか。
尾根に沿って、左右に揺れながら、二匹分の足跡を残している。
微笑ましい。
もうここまでくれば、
「まずは、近場の温泉の湯船につかり、そのあと、ぐびぐびっと一杯やっか。」
すると突然
ゴーーー。
体が浮いた
せみ時雨が、フリーズした。
確かに、よろよろと続く獣の足跡、
正面右側に立つ、雪をまとった松ノ木、
暖かさを取り戻した空気、
目的を何とか果たした安堵感、

そんなことを切り裂くように、
私は、右側に、背中を下にして落下していった。
雪庇の踏み抜きである。
ナイアガラの滝のごとく崩れていく雪のカーテンの中に、
私の体が舞っている。
こんなときでも、脳の一部は、冷静なものである。
この次は、後頭部を雪面にたたきつけられるだろう。
そして、そのまま、雪崩と共に、下へ下へと流され、
立ち木だろうか、岩の塊だろうか、
はたまた、その下に流れている、沢水の岩盤にたたきつけられ、
体が粉々になってしまっているだろうか。
幽体離脱。
自分を魂の抜け殻が、第三者を傍観しているがごとく、
「やっちまったなあ」
とつぶやいていることを勝手に想像している。
私は、予想通り、周囲の、木々の破片や、岩くずを巻き込み雪崩れ、
無理やり洗濯機に突っ込まれたように雪の中をぐるぐると落ちていった。
薄れ行く意識の中で、前方に木が近づいてくる。
まだ、この世に未練があるのだろうか、
私は、必死になってその木の幹に体を預ける。
雪崩は、私の体の上部を滑りあがり、
方向を曲げ、
そのままはるか下のほうに。
その響きをしばらくは、とどろかせ続け、
やがて、無音になった。
「闇の世界だ。」
「土中に埋葬された、屍のようだ。」
このまま、コンクリートされ、
雪解けのときに、ぐずぐず、ぶよぶよになった悪臭を放つ腐乱死体となって、
山菜取りにきた、村人に発見されることになるのだろうか。
ピッケルの紐を握っていた手が少し動かせた。
むずむずと動かせていたら、空間ができた。
徐々にではあるが、少しずつ、拡がった。
そして、ピッケルの紐を引っ張ると、眼前にぽっかり穴が開き、明かりが差し込んできた。
片腕一本だけは動かせた。
腕をこまめに動かしながら、手でとどく範囲にある雪をおしのけていった。
そして、数時間かけて、両手、右足、左足、胴体、頭の周りの雪を書き出し、何とか、雪面に、脱出できた。
1メートルほど埋まっていただろうか。
ぶるぶると体が震えている。
ラッキーであった。
あたりはもう、陽が落ち始めている。
天候が、悪くないのが、救いである。
左手が脱臼、左足が捻挫しているようだ。
見上げると、
尾根からまっすぐ切れ落ち、斜面をのみで傷つけたように、雪崩のあとが刻まれていた。
200メートルぐらいあろうか。
その後、雪崩ているところを足を引きずりながら、一歩一歩、登っていく。
やっど、尾根にたどり着いたときは、あたりは真っ暗闇である。
ほとんど、しりもち状態で、雪尾根を下り、上り口までたどり着く。
えーところで、ここで記憶があいまい。
足を引きずって、片手を負傷して、どうやって岐路につかたのだろうか。
そう、アプローチに使った、山スキーを、登山口に置きっぱなしにしていた。
それをはいて、来た道をたどっていったな。
この山スキーの板は、ここで、履き捨てにするつもりだったが、
縁が続いていたということだ。
そして、その後の道程は、
あのダムのこと。
深夜にもかかわらず、唯一、明かりがついていた、
ダム管理事務所にころがりこんだ。
そう、あの日は年越しの夜。たまたまでした。
当時は冬は住み込みでダムの管理作業をしてるようであった。
ちょうどこの日が職員交代の日であり、大晦日である為、
深夜まで、にぎやかにやっていた。
暖かい、
薪ストーブの灯、冷え切った体が癒される。
見ず知らずのゆきずりの私を、快く、迎えてくれた。
「何にもお構いできないけど。」
といいながら、暖炉の前の、ちょとした休息スペースを使わしていただきました。
私は、ザックの中にある、濡れ物をすべて引っ張り出し、暖炉の周りに干すと、
そのまま、シュラフにもぐりこみ、深い眠りについた。
鶏の鳴き声と犬が騒ぐ音でそっと目を開ける。 留まる人、帰る人、
お互い、労いの言葉を交わし、数人がでていった。
元旦とはいえ、職員は計器類を操作していた。
鶏はおそらく、新鮮な卵を手に入れようという目的の為だろう。
建物の中を我が物顔に動き回っている。
一匹のせみが、
みーんみんとなきだす。
それにつられ、
まわりがいっせいになきだした。
それにしても、
ダムなんてあったっけ。
地形図をなぞってみても、それらしきものがない。
この話、眉唾ものなのか。
「あーあったあった、下山口からずーと先に。
もう、鉄道駅のちかくではないか。」
「40年前の記憶は架空ではないにちがいない。」
左手の平奥にある腱。あのとき負傷した箇所である。
右親指で思いっきり押してみる。
「確かに痛い。」
「山スキーの板は。」
「妙高の地下に保管してあった。」
山スキーをいただいた、yさんはもう10年以上前だったか。
もういない。
福島の渓谷で、行ってしまった。
「それにしても、ダムを管理していた人に御礼をしたっけ。」
「えーと、後から、手紙を書いたっけ。いや、多分そうだったろう。」
「ところで、あの時、怪我をしていたはずだったが、そのことは何も聞かれなかったな。」
「どこからきたのか。何をやってきたのか。」
「根掘り葉掘り聞かれなかった。」
「察しは着いていたのだろうか。」
「まーいいか。」
遠い記憶の、
地図さがし。
これも、
ちっぽけな私の
ささやかな娯楽でしょうか。
東側の窓から、
ドーんと、
五感を揺さぶられる音があたりを響きさせた後
花火が暮れ行く夜空に、
大輪の花を咲かせた。

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