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還暦過ぎのITはつらいよ!

ノンフィクション

アルピニズムとは、、、、。

北アルプス明神岳山頂4月にて

2000年懲りない人々より、、、、

北アルプス明神岳山頂4月にて
北アルプス明神岳山頂4月にて

1970~80年代に世界の主立った高峰は制覇されバリエーションルート(山を登りがいのあるいろいろなルート、いろいろな季節にのぼる)も一段落がつき、より困難を求めて=アルピニズムはすでに今になっては死語になってしまった感がある。
なんで困難にあえてたちむかうのか、もっと楽で楽しいことがたくさんあるのに、と一般人は思うだろうし、わたしもそうだった。Hさんと出会うまでは。


Hさんは大学の同じ学科でかつサークルの先輩であった。だが私がサークルに入った当時はヒマラヤにずーといたので直接会うこともなかったが、その名は大学のみならず日本の登山界にとどろかせるほどだった。Hさんがいるんで他の大学からわざわざうちの大学のサークルはいってくる人もいるくらいである。冬の谷川岳の岩壁の単独初登攀、1ヶ月なんのサポートも受けず単独で歩き通した道無き関東県境の山々の縦走、同じくノンサポートでは日本初の冬の北海道日高山脈全山縦走、考えられないスピードでの谷川岳岩壁の単独継続登攀(ルートを間を置かず何本もつなげる事)などは当時の登山界の注目にあった。むろん私なんぞ高嶺の花である。そんな存在であったHさんとの出会いはたしか大学2年時だったと思う。わきあいあいとやっていたサークルの中で一人ちょっと浮いていた私に声をかけてくれた。小柄ではあるががっしりした穏やかなひとである。とても困難な事をやっているひとにはおもえなかった。そしてもうひとり、学科が同期で同じサークルのHa君とともにHさんの下宿に誘われた。大学裏にある共同トイレ、炊事場のうすくらい3畳の部屋である。万年布団ならぬ万年こたつの上には1升酒二本とその他諸々、酒を飲み交わしながら話が始まった。「アルピニズムとはなんぞや。」Hさんの話が得々と語り始めていった。Hさん、Ha君ともに酒を飲むペースが早く、私も負けじとのみつずけたせいか、頭がぐるぐる回った状態で何を語っていたかあまりおぼえていない。ただ説得力があり、話に引き込まれていった事はたしかだった。初登攀をやりとげすべてを出し切ったあとの頭の中が空っぽになる事から来る快感をリヤルに語っていたことが印象的だった。
とにかくショックだった。山登りにたいしてあまりにもひたむきだった。普通これだけ名をはせた人は鼻高々になるのだがHさんは違っていた。純粋過ぎるほど純粋だった。私とHa君はすっかり酔いつぶれていた。Ha君は自分の部屋(同じ下宿)でぶっ倒れ、私は狭い三畳の片隅でうずくまっていた。Hさんはなんか便所で便器をかかえねていたようだった。その後の私とHa君の山の登り方も変わっていった。二人とも社会人の山岳会へ入り、Ha君は海外の山を目指し、私は国内の知られざる地域を探るようになっていった。
凍傷にもあった。雪庇を踏み抜き数百メートル滑落した。雪崩に埋まったこともある。今思えばたいした山歴ではないと思うのだが、山行ひとつひとつが全力投球だった。死を覚悟したことさえある。記録的には参考にもならない物でも、やり遂げたあとの快感はほかの何者にも代え難い。なんとなくHさんの言っていたアルピニズムという言葉がわかるような気がした。数回Hさんに連れられ山にいったがその後Hさんは再びヒマラヤヘ、私はHさんのでていった三畳下宿へ引っ越し学生生活六年まで過ごした。
あれから20年近く時が過ぎ私も体力と気力の衰えから徐徐に一戦からとうざかっていった。風の便りではタイ北部の山岳民族について研究しているだとか、大学も無事卒業し(私より2.3年あとに卒業したと言うことは14年在籍していたのか?)、現地で結婚した?だとか、私もすっかりごぶさたしてしまっていた。
ところがこの間、ふと立ち寄った本やで山岳雑誌を立ち読みしていたらなんとHさんの記事が載っているではないか。「奥秩父断食山行」という題目で記録短信の欄にたしかにある。「まだやっているのか。」と思わず声に出してしまった。食べずに山を何日も歩き通すなんてなにをかんがえているにだろうと普通は考えるだろう。サディストか修験者か、いやHさんなりのアルピニズムの表現の仕方なのだろう。きっともうどこかで落ち着いているだろうなあと思っていたのに。
99%以上の人は儲かるあるいは楽な生き方を選ぶと思う。でも彼はそれにあてはまらない。それを否定する事によって得られる快感を知っている。それが彼なりのアルピニズムなのではないだろうか。99%以上の人は理解できないだろう。でも私にはわかる。言葉では表現できないのはもどかしのだけれど。富士山を5合めまで車でいき、そこから頂上にたつのも田子の浦から富士の裾野をすすみ道無き道をたどり頂上にいたるのもどちらとも富士山を登ったと言うことには代わりはない。だけどちがう。なぜか。やった人じゃないとわからない。
ふと考える。私も99%以上に洩れた人間なのではないだろうか。ひょっとしたらわたしもあれからずーとアルピニズムの幻影のなかをただよいつずけているのではないだろうか。宿も0、農業も0、人間関係も0からのスタートだった。苦しそうに思えるのも、気楽そうに思えるのもすべてこのことからはっしているのではないか。そしてこれからも目を閉じるまでこうなるであろう予感を感じてしまう。そうさせた張本人がHさん、あなたです。でもうれしかった。ちょっと勇気づけられた。未だに思い続けているなんて。すぐにでも会いたいとは思わないが。記憶の中から消えそうになる直前にたびたび声をかけてもらえばいい。そして私もそれに答えるべく、思った道を逃げることなく進んでいきたい。
当時私はHさんからいただいた唯一の宝物がある。それは幻の青いケシの花の押し花、ヒマラヤの5000メートル以上の所でないとお目にかかれない物らしい。その時は「なんだ押し花か」とあまり気にもとめなかった。今にして思えば私へのメッセージだったのか。この物を目にするたびにまだ見ぬヒマラヤの白く鋭く輝いている峰峰への熱き思いにかられてしまう。
「いつかはいきたい。」
ところでHさん、、、、、、、、まっとうな暮らしをしていないだろうなあ。

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