究極の空気を求めて流離う旅人

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2000年懲りない人々より、、、

妙高高原ロッジ
妙高高原ロッジ

5月最初の空がどこまでも高く続いているのを感じさせる青くすんだ日、彼女は我がロッジの前に降り立った。
深々とかぶった帽子と顔を覆い隠す白いマスク、コートで全身を包み隠し着膨れになった出で立ちは物々しく、
ただならぬ気配を感じさせる。
それは一本の唐突な電話からだった。
「宿の周りに何か建物がありますか、、、。周りの木々は針葉樹ですか、、、。宿は築何年経っていますか、、、。
最近改築や補修などされましたか、、、。」
実は彼女は「シックハウス=化学物質過敏症」の方だったんです。

それは数年前、あの阪神大震災後の事、彼女か暮らしている神戸市東灘区は崩れたがれきの撤去や災害復旧の為に重機やダンプの往来が激しく町中がその煤煙にひどく悩まされていた。
それが直接的な原因なのかわからないが、はじめは単に花粉症に似た症状だったらしい。
次第にその程度が増してきてめまいや吐き気、頭痛などその場にいてもたってもいられなくなった。
病院にいっても実はこのシックハウスは正式な病気として認められていないためしっかりととりあってはもらえず、
治療法もなく、ひたすら原因物質から我が身を遠ざけるしか対処法がないとのこと。
やがてどうしても耐えられなくなり、家庭がありながら、夫と子供を残して旅立っていったと言うことらしい。
日本全国、自分が安心して暮らしていける場所を求めてあちこちを転々とし、そして、今、ここにたどりついた。
送りだしていった前宿泊宿の送迎車から「では何かあったら遠慮なく相談に乗りますよ。」と言って去って行く宿のご主人とその車に目を背けながら呼吸をこらえて手を振る彼女をみて、私は事の重大さにちょっととまどっていた。
彼女はあわただしくビニール袋から持ち物を新鮮な空気にさらすべくベランダに広げだした。
「ロッジは天然素材にこだわって建てられているわけではないのですがだいじょうぶですか。」
「うん、建物自体古いせいかそんな極端にひどくはないみたい。」
と言いつつも時折通り過ぎる車が来るたびにあわてて部屋の奥の方に避難してしまう。
また物が燃焼してでる、ガスや煙にも反応するらしく厨房での調理作業は外に臭いを漏らさないように
しきりを閉じて行わなければならない。もちろん暖房も使えず、5月とはいえ朝晩は相当寒いが十分着込む事で対処しているようである。
「でもほんとうに大丈夫だろうか。」
彼女が顔を背けたり、崩れ落ちるようにハンカチで口を押さえたりするたびに「もし一大事になったらどうしよう。」とおもってしまう。
折しも明日からゴールデンウイーク後半である。予約が20名近くはいっているが無事乗り越えられるだろうか。
幸い当日はなじみのお客様ばかりでたばこを吸ったり、ばたばた騒ぐことも無かったので事なきを得たのだった。
そして連休の最終日にご家族が来られ、久しぶりの再会に和やかに過ごされていた。
私は彼女が連休の間だけの滞在とばかり思っていたが彼女の旦那さんにたずねると「受け入れてくれる所がなかなかなく、次の行き先が決まるまでなんとかお願いします。」とたのまれてしまう。
「周りに人工物がいっさいなく、原生林に囲まれており、建物や家具はすべて天然素材であり、無添加無農薬食品の食事を食せる所が一体あるのだろうか。」
宿として構えている以上行き先が見つからないお客様を無責任に送り出してしまう訳にもいかず、「なんとか探すしかない。」と、私は決心せざるを得ない状況でした。
私は彼女からお願いされ毎日なるたけおいしい空気が味わえる所へ送迎をしていた。
おいしい空気イコール景色が良い所ではない。いろいろ案内したが景色のいいところはむしろ人が集まったり、物があったりしてむしろ空気が澄んでいない。開けているところは遠くにある工場の煙突からでる、汚染物や車の排気ガスの影響がありかえってよくないらしい。「どこがいいのだろうか。」と知り合いに相談するために立ち寄った池ノ平の別荘地が以外にも彼女にはお気に入りだった。雑木に抱かれ何かうっそうとした中にたたずんでいる、葉っぱからいっぱいの酸素が降り注いでいるがごとくしっとりとした空気の中にいるような所だった。「家の近くにこんなところがあったのか。」私には再発見だった。
彼女は昼中そこにとどまっていた。
雨の日でさえもカッパを羽織っていつもどおり携帯電話を片手に送迎ポイントからさらに森の奥へ入っていくのでした。
ところがある日いつものように送迎をし、宿に戻ってきて夕方ちかくに彼女から電話がかかってきた。
「今日この近くで花火大会があるそうでなんか通行止めになるので至急迎えに来て下さい。」とあわてているようでした。
私はすぐに車を走らせ現場に向かおうとしたがすでに交通規制が始まっている。
むろん人混みの中を車が乗り入れられる所まで歩いていくことが出来ようもない。
火事場の煙のなかをかいくぐって救急現場に向かう消防士のごとく私は何とか交通誘導員を説得してお迎え場所に向かった。
危機一髪だった?。
その次の日からはもう池ノ平には近づけず、苗名滝遊歩道の方に送迎場所を変えることになった。
彼女は昼中山道を散策し一番空気がおいしそうな所を探してそこで何時間もたたずんでいる。
特に人の往来のなさそうなブナ林がお気に入りです。
玄米のおにぎりをもって本や資料に目をとおしたり、携帯電話で仲間と情報交換をしたり、野草とか山菜を摘んだりしてすごしてるようです。
私は何とかして彼女が安心して暮らせる所がないものかさがした。
宿を転々としたところで根本的な解決には至らないと感じていた。
宿はいろいろな人の集まるところで当然宿内の空気はよごれるし、かといって彼女だけどこかに隔離するなんてできるわけがない。長く滞在すれば宿代もばかにならない。
結局空気のよさそうな所に建つ家をかりるなり新築するなりするしかないように思えてくる。
最近はシックハウス症の方も大丈夫なマンションのような所がでてきたが、その周りの環境がいいところであるとはいえないし、彼女のような重度の方は無理におもえる。
家や食べ物や空気や土や、、、すべてが人間が作り出した化学物質の影響のないところでないと生活できない。
「ちょっと待てよ。」
「地球にやさしくと言うコンセプトで始めた宿の理想とする究極の姿はこのことなのか。」
私は人ごとには思えないような気がした。
そしてこの「究極の場所」を求めて知人から聞いたりインターネットより情報を入手したりしていろいろあたってみた。
何件かは候補にあがったものの結局近くに建設中の砂防ダムがあったり、地主や住民がシックハウスそのものに偏見をもったりしていたためかこの近くでは見つけることができなかった。
考えてみれば程度の差はあれ私の所も化学物質にあふれているなあ。
尽きるところ、人間がいるところ汚染物質あり。
我々はそのことにいかに鈍感であったか。
彼女が数年かけても理想とするところにいきつかないのだから、そう簡単に見つかるわけないなあ。
私の宿ではこれから田植え、農作業が忙しくなるので限界とみて次の行き先を決めてもらうことになった。
「いっそ私の宿自体がシックハウス症の方にも安心して滞在できるような施設であればいいのに。」と何とも
無力さを悔やんでしまう。
5月20日、夫とともに彼女は次の目的地に向け旅立っていった。
群馬県にある関東随一の広さを誇るブナ林の中にある宿泊地といっていた。
そこでいい物件に出会えるだろうか。
また前みたいに家族が安心していっしょに暮らせるようになれるだろうか。
ちょっと心残りに思いながらも私は駅を後にする。
ふと振り返ると
見送られる、完全防備した彼女は
純真無垢の少女の様にいたずらっぽくいつまでも手を振り続けていた。

果たして「究極の空気」に出会えるだろうか。

彼女が私の所にいて「これ、ものすごくいい匂い。」と言われたものがある。
それは私が無農薬有機栽培で作った米をすった糠である。
彼女はそれを部屋に持ち込み香水代わりにしていた。
まだ植物が吐き出す清涼な空気にみちみちていた頃の故郷の田畑で
おもいっきり駆け回っていた、あの自分の姿を
思い起こしてくれるような、
そんな郷愁を感じさせる
たわわに実った稲穂の磨れた臭いは
何か忘れかけた物を思い出させてくれるような
懐かしさを覚える気がしてしまう。
きっとその想いは彼女だけではないでしょう。

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