
白州の家
妻は口癖のように言っていた。
「白州に帰る!」
昨年、白州の家の階段から落下、脊髄損傷、救急搬送、入院、転院して現在に至る。
命の危険にかかわるところまではいかなかったものの、入院生活を余儀なくされる。
「私は化学物質過敏症」
常に妻はこの言葉が脳裏に焼きついている。
事故から5ヶ月、入院可能期間満了の日が近づき、退院の運びとなる。
病院の環境そのものが彼女にとって「過酷と感じるもの」であったろう。
しかもへそから下の自由を奪われ、いままでのようにはいかない体になってしまった。
そういった事情の中で、特異な病院生活を送ることになる。
お化粧の臭いを漂わせた看護婦さんが病室に入ってくると「はいってこないで!臭いが耐えられない!」というので看護する側も戸惑ってしまう。マスクをつけて耐え忍べばいいと思うのだが、いっこうに耳を傾けようとしない。
「部屋に残留する空気に我慢できない。」といいつつ窓を開け、病室内を真冬の寒風にさらすことになる。当然、布団をかぶっていても寒気が体を蝕みがたがた震え睡眠が十分取れないことになる。度々このようなことが続くと看護士さんも本来の仕事どころではない。入ってこれる人が限られてしまうのである。十分なケアーもできない。毎日行っているリハビリテーションもしかり。とうとう「何か事故があった場合は自己責任どいうことになります。」というような内容の書類にサインを求められることになる。
「ここを出て行く、帰りたい!」
「もう少し環境のいい病院を」とあたってみたものの、こういう症状であるがゆえにことごとく転院する断られ続けた。
しかたがなく、自宅看護をするしかないのかとおもい、家探しに奔走することになる。「なかなかみつからない。」
条件が厳しすぎるのだろうか?
・バリアフリーでしかも車椅子対応のところ
・環境がいい(空気が澄んでいる、電波、電磁波の影響が少ない、煙がこない)
・収入が少ないので家賃が高くない。
民間の賃貸住宅はこういった条件に当てはまるところは見つけられなかった。
頼みの綱である市営、県営の団地をあたってみた。
市営も県営も空き部屋はあるようだった。
県営団地は何件か車椅子対応の所はあるようだったが、県内在住の保証人を立てなければいけないとのこと。県内に保証人の当てなど無く。申し込めずじまいになってしまった。 しからば市営をあたってみる。「福祉村」というところが開いていた。しかも市内である。環境もそこそこであったのでこれはいけるとおもった。
手続きはめんどうであった。普通の公営団地のようには行かない。市の福祉課を通して国の審査を受けなければいけない。書類を提出し自宅訪問、聞き取り調査という作業にかかわることになる。昨年暮れに入居を申し入れてから本年2月末に結果が出るまで書類を調える期間を含めて3ヶ月かかった。
結果、入居判定は「否」であった。
妻の自立度が小さいということと、現に自宅が存在しているということがこういう判定に至ったとのことであった。
妻の「帰る家は白州しかない!」と言っていたとおりになってしまった。
澄んだ空気、きれいな水、周りの緑、市街地からの騒音とは無縁の世界、そのような環境が彼女にとって心地よいのだろうと考える。
私自身は、あまりにも世間とかけはなれた状況であることが、彼女にとっていいとは思えない。人はコミュニケーションの中で生かされていくと思う。彼女がそのことを理解できるのは、彼女自身が「私はピュアーな環境でしか生きていけない。」という呪縛から解放された時と考えるが、そういう日がいつになるのか。
まだまだ葛藤の日々が続くが、今の白州の家が彼女をあたたかく迎え入れてくれるであろうことが何よりも救いであるといえる。