団地のベランダの片隅で米をつくる。稲刈り作業時間1分。収穫量はもみ重量150g。ご飯茶碗2杯分の成果であった。
これは農業といえるのか!? ままごと遊びといわれそうであるが、当事者は満足感に浸りきっていたのであった。
贈答品の煎餅のパッケージについていた稲穂をみて、5年ほど前までやっていた、稲作を思い出した。
もみをこそいで、水に浸し、暖かいところに置いたら芽が出たので、鉢に蒔いてみた。肥料なし。農薬なし。そこら辺の土を失敬して種をまく。根を張り、ぐんぐん成長し、ご覧のとおり、穂がたれる状態に至ったのであった。
目次
稲のルーツ
宮沢賢治 グスコーブドリの伝記の中にでてくる、「沼ばたけに緑いろの槍のようなオリザ」という記述がある。小説家である宮沢賢治の独特な表現であるが、沼畑は田んぼでオリザは稲を指しているということを、どこかの評論で述べていたのを知ってはじめてわかった。
この、オリザというのは、栽培イネの祖先種であるオリザ・ルフィポゴン(Oryza rufipogon)のことであるのだから、宮沢賢治の生き物に対する、姿勢、捕らえ方、想像力のセンスの良さがひかる。
原産地は約1万年前の中国長江流域の湖南省周辺地域と考えられているが、諸説あり、稲作もそれ以降はじめられたようである。
日本に伝えられたのも、定かではないが、九州西北部で弥生時代早期にあたる紀元前9世紀からとされている。[WikiPedia イネ]
お米の原種イコール「古代米」ということがおもいうかばれるが、古代米とはという学術的に明確な定義はない。麦のような禾が長い、黒、紫、赤、緑、などの色がついている、実るまで期間が長い、生育にばらつきがある、等の特徴があるとされているものをさしているのだろう。これらの特徴は、原種としての特性を示すものとされており、古代米という名称がついてのだろう。現代において、流通されるお米は、人類の米栽培のかかわりの中で、収穫するのに都合がいいものに品種改良されたものが出回っているということである。
アジア稲(アフリカ稲というのもあるが、ごくわずかな地域に限られる)はジャポニカ種とインディカ種に分かれるが、いずれの場合も、モンスーンによるまとまった雨量がある温暖な地域で栽培が拡がった。日本のものは、その中でも耐寒性が強いジャポニカ種が品種改良されてきたといわれている。
世界の米事情
世界の三大穀物とは、小麦(年間7.3億トン)、米(4.8億トン)、とうもろこし(10.1億トン)といわれている。
お米は、その生産量、消費量ではインドから日本にいたる、アジア諸国が8割から9割占めている。その貿易量は生産量に対して1割に満たない数値である。小麦2.3割、とうもろこし。1.4割から比べると、国と国との流通に関しては、お米は自給的な色彩が強いものと捉えることが出来る。
お米の生産量ランキング
- 中国 144,500(千トン)
- インド 104,800
- インドネシア 35,760
- バングラディッシュ 34,500
- ベトナム 28,074
- タイ 18,750
- ミャンマー 12,600
- フィリピン 11,915
- ブラジル 8,465
- 日本 7,816
- アメリカ 7,068
世界全体の9割がアジアで生産されている。また、農林水産省の予測データによると、2028年までに2017年度を基準に15%生産が増えるとしています。一方、日本では逆に生産量が毎年減り続けている。
お米の消費量ランキングと一人当たりの消費量
- 中国 147,500 (107.2)
- インド 98,097 (74,8)
- インドネシア 38,500 (149.5)
- バングラディッシュ 35,200 (218.4)
- ベトナム 22,100 (236.5)
- フィリピン 13,200 (131.1)
- タイ 11,700 (172.2)
- ミャンマー 10,550 (197.5)
- 日本 7,966 (55.2)
- ブラジル 7,900 (38.0)
* 消費国 消費量千トン (一人当たりの年間消費量)
お米を生産している国、主食としている国が消費もしていることなので、ランクは生産量のものとあまり変わりはない。将来の予測も、アジア各国、中東アフリカの人口増加と、欧米各国の需要の伸びが消費を押し上げるということとしている。ただ、日本の場合は、食の多様化により、消費量は下落の一途を辿っている。
お米の貿易量(輸出)ランキング
- インド 9,869,281トン
- タイ 9,870,079
- ベトナム 5,210,843
- パキスタン 3,947,365
- アメリカ 3,315,836
- ウルグアイ 899,523
- イタリア 651,443
- ブラジル 630,328
- パラグアイ 554,121
- カンボジア 529,888
お米を主食とするアジア諸国以外にも、アメリカ、南米、イタリアなどが輸出国となっている。
尚、輸入している国は、2015年時点で中国が自国生産ではまかないきれない量を輸入しており、輸入量第1位になっているが、国の政策により、今後は輸入量は大幅に縮小されるとしている。そのほか、アフリカ、中東、欧州、中南米が純輸入地域となっている。
農林水産省資料:日本のデータは平成26年度「食料需給表」より、その他の国・地域は米国農務省「PS&D」(10 November 2015、2014/15年の数値〈見込値を含む〉)より作成
※
注:「生産量」「消費量」は精米ベース、日本の「1人当たり消費量」は供給純食料の値(精米ベース)、その他の国・地域は、「消費量」を国際連合
「World Population Prospects: The 2015 Revision」(2015年1月1日推定値)の人口で割って算出
貿易量データ:2016貿易量 出典 FAOSTAT 2016 帝国書院サイトより
- 参考 2028年における世界の食糧需給見通し[農林水産政策研究所]平成31年3月190304_2028_01.pdf
主食としてのおこめ
日本のみならず、中国やインドなど東、東南、南アジアの広域で食べられている。アフリカのマダガスカルでも主食とされているが、マダガスカルの民族のルーツがアジアであるということからそのようになっているといわれている。
また、何が主食で何が副食化という明確なくくり方をしない、欧米各国やその他の地域では、それぞれの国のお米の調理法で食べられている。
日本人の主食はお米である。とはいうものの、一人当たりの年間米消費量は、54kgほど(平成28年度)であり、一日あたりでは、148gとなり、お茶碗2杯弱(一杯65g)となる。東南アジア各国では100~200kg以上であることから、本当に主食になっているのかと言われています。日本においての消
費量のピークは昭和37年度の118kgである、その当時から半分に減少しており、今後も減少傾向が続くとみられている。経済成長とともに、食の多様化がすすみ、日本人が海外の食文化を受け入れ、いろいろなものを食べるようになったことによるものと言えます。
農林水産省や文部科学省では、お米の消費拡大をすすめています。戦後はGHQからの要請で、パン、ミルク食が学校給食にとりいれるようになりましたが、昭和40年代以降、米消費量が落ち込み、米あまりの状況になり、一転して、米飯給食が取り入れられるようになり、今日に至っております。それでも、米消費量の落ち込みに歯止めがかからないのは時代の流れなのでしょうか。
- 参考米をめぐる関係資料平成30年7月[農林水産省]re_data3.pdf
米作りが国家による、政治と経済に深く係わってきた
日本において、縄文時代にはお米を食べていたといわれています。本格的に栽培が拡大されたのは弥生時代になってからですが、その正確な年代は諸説あるようです。
歴史の教科書では、縄文時代は狩猟採集で食べ物を得ていましたが、弥生時代には稲作中心の社会が形成され人々の定住生活が始まったとか書かれていました。それまでと打って変わって、定住し、食べ物を自ら栽培することにより、安定的に食料が確保されるようになり、人口も増え、やがて、農作業を共同で営むことになり、村落共同体というものが形成されるようになったとされています。
形作られた村それぞれ、自然環境の違いにより、作物が多く取れる村とそうでない村ができ、多く取れるところは、人口が増えていきます。そういう状況下で富める村がでて、やがてそうでない村を支配するようになり、貧富の差が出てくるようになってきたのが古墳時代以降になるといわれています。
7世紀中頃になると、大和朝廷が強力な権力を振りかざし、人々を支配し、日本各地の水田を、農民ひとりひとりに一定面積をあたえ、収穫の一部を田祖税の一部として朝廷に納めることを義務づけるようになりました。国家が政治的にも経済的にも支配するさきがけとなったわけです。
そういった状況は、近代までつづいていました。
江戸幕府があった時代では、ある土地にある田んぼの面積から収穫量を推測し、それをその地域の石高とし、租税を徴収していました。そして、その石高により、土地を支配しているものの権力の尺度として捕らえられていました。領主や藩は一部を市場に流し、利益を得ていた一方で、市場にでたお米を売りさばく米問屋がおり、その流れの中で、流通、輸送に係わる、商人が現れ、近代へいたる経済的基盤になった、金融、流通、商社が生まれたのもこの頃とされています。
明治初期になって、地租改正により、年貢米から、貨幣へと収める税の内容が変わりましたが、末端である、小作人から地主へ納めるものは依然、米でした。
戦後、農地改革により、旧態の小作制が廃止され、多くの農地が、自作する農民として農地が払い下げられましたが、依然として、食糧管理法の下、米を国家により、管理されるものとして、つい最近まで続けられていました。
近年は、1995年に食管法から食糧法に改正され、政府が管理する米以外の自主流通米が認められましたが、減反政策により、お米を自由に作り、流通させる自由が政府により制限されていました。
こめ政策の行方
食料・農業・農村基本計画本文(米関係抜粋)
第3 食料、農業及び農村に関し総合的かつ計画的に講ずべき施策
2.農業の持続的な発展に関する施策
高齢化、人口減少等による米の消費の減少が今後とも見込まれる中で、・・・ 優れた生産装置である水田をフルに活用し、食料自給率・食料自給力の維持向上を図るため、飼料用米等の戦略作物の生産拡大を推進する。・・・
行政による生産数量目標の配分に頼らずとも、国が策定する需給見通し等を踏まえつつ、生産者や集荷業者・団体が中心となって円滑に需要に応じた生産が行える状況になるよう、行政、生産者団体、現場が一体となって取り組む。・・・
米を巡る関係資料 平成30年7月 農林水産省より re_data3.pdf
飼料用米、米粉用米、麦、大豆等の戦略作物については、・・・生産性を向上させ本作化を推進する。品目ごとの生産努力目標の確実な達成に向けて、不断に点検しながら、生産拡大を図る
コメの消費は年々減少しています。こうした中で農家が一斉に増産に走れば、価格は暴落、市場は大混乱します。
「減反廃止 コメはどう変わる」(時論公論)2018年01月25日 (木)解説アーカイブス NHK
そこで政府がとったのは、水田で主食用のコメ以外の作物を作った場合の支援。手厚い補助金でした。
水田に麦や大豆を作る農家には10アールあたり3万5000円、せんべいなどに加工するコメについては2万円という具合です。
中でも多額なのが、家畜などのえさ用のコメで、最大で10万5000円の補助金が支給されます。さらに県で決められた新たな品種を使えば、補助金が上積みという、これまでにない手厚い支援です。
エサ米の価格は1キログラム10円程度と、ただ同然です。このためかつては誰も家畜用のコメを作ろうとは思いませんでした。ところが補助金を加えれば、収入は主食用を上回ります。
農家にエサ用のコメを作ってもらうことで、結果的に主食用の生産を減らし、価格の安定を狙った訳です。
2018年度から政府がお米の生産調整である、各自治体への作付け割り当てを決めて実行させる、減反政策が廃止となる。名目上では、生産者がお米を自由に作って、自由に販売できるというものである。ただ、自由に作ってしまうと市場に余剰米が出回り価格が暴落してしまうことになるので、実質は自治体や農協が各農家の取りまとめ役となり、農家の意向を踏まえた上で、国の政策を反映させる形となる。その分、国 が飼料用米や、麦や大豆への転作に対する補助金の増額により、転作への誘導を進める形となっており、減反政策が形だけ変えたものとして 「この補助金増額が将来的にやる気のある農業者が育育っていかないことになる。」と批判する論評がみうけられる。日本における農政の方向性としては「長期的には農家の規模拡大、コスト削減、ブランド化 戦略的作物への転換である一方で、主食用米が増産されることによる米価下落、耕作放棄 農業生産構造の急変をかんがみた方針としての事ではあるが、今後とも賛否両論の議論が続いていきそうである。
- 参考求められる米政策の見直し [みずほ総合研究所] 2019年3月12日 report19-0312.pdf
日本は瑞穂の国ということばでよばれていた。
豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)
「葦(あし)が生い茂って、千年も万年も穀物が豊かに実る国」という意味のこの言葉。神々の住まう高天原、死後の世界である黄泉の国、その間にある素戔嗚尊が治める世界、つまり「日本」という国を示している。
日本では、古来お米は神様からの「授かりもの」と考えられてきた。天照大神(あまてらすおおみかみ)から地上世界の統治を託された、天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は三種の神器とともに、稲穂を授けられ、高千穂峰に降り立たれる。高天原の神聖な田で実った稲を地上でも植え、実り豊かな国、つまり豊葦原千五百秋瑞穂国を作りなさい、と命じられたのである。瓊瓊杵尊の神名自体も、「稲穂がにぎにぎしく実る」という意味。穀物の神様の手によって、お米は日本にもたらされ、瑞穂の国の歴史が始まるのである。
神々の国の恵みを地上世界に再現すること。それが、天照大神の意に適(かな)うこと。以来、日本人はお米を作り続けてきた。お米が神々の世界と日本という国をつないでいるのである。ご飯を三角形や俵型に握ったものが、「おむすび」といわれるのも、お米が神様と人のご縁をむすぶから。日本という国のものがたりは、お米を抜きにしては語れないのである。
朝日新聞 (瑞穂のくに 日本がたり)神々が授けた稲作の恵み
日本の国と米との係わりは日本の文化の根底をなしています。
それは、お米が霊的なものとして古代から崇められる存在であったからだと言われています。その年にどれくらい収穫できるか、冷害とならないのか、うまく作業がはかどるだろうかなどの心配事が常に人々の心の中にあったのだろうか。お米が、食の主役であったから、お米に対する、特別な感情がそのようにさせたと推測できます。自然の脅威から逃れる為に、人々は豊作を祈願し、稲作に係わる儀礼的なこと、お祭り、芸能などが生まれ、今日までそれが息づいております。神様にお供えするものとして、お餅やごはん、お酒などはすべてお米から作られたものです。日本各所で行われている秋祭りは、田の神に豊穣の感謝の意をささげるものとして受け伝えれれてきました。田植えの時のおはやしや歌が芸能となったのが田楽(でんがく)もやはり、霊的崇拝の意味を持ったものです。相撲のそもそもの起源は、大地を踏みしめる動作が、害虫や病気などの厄介払いを意味しており、田の神を大地に根付かせるものとして始まったものであると言われております。
これらの事は、庶民、農民の間だけにとどまったものではありませんでした。古代の宮廷では、皇太子の天皇即位式にイネの初穂を 神に供え、その霊力により天皇の霊魂の再生と復活を祈願する国家的な大嘗祭(だいじょうさい)の儀式も行われました。
米を作る
私が米作りをはじめたのは1994年からである。きっかけは、前年の米騒動にあります。この年の夏は記録的な冷夏となり、収穫量が平年の7割に落ち込んでしまい、スーパーや米やからお米が消えてしまう事態におちいってしまいました。いままで食べたことなかったタイのお米を違和感をもちながら食べた事 が思い出されます。偶然、知り合いから、凶作であった種籾をいただいたのが米つくりのはじまりとなりました。
自分で食べるおこめは自分でつくってやろうと意気込んだわけです。当時は、夏場に農業の手伝いをやっていたので、田んぼ(2反)も農具もなんなく調達できたので、米つくりをはじめることができました。いまでこそ、無農薬でつくることに特別視されることはないですが、当時は、「農薬をつかわないで、米つくりなど出来るわけがない、そんなのは農業とはいえない」という保守的な風潮が蔓延していたので、米つくりなど、やったことがないものに対しては、周りからのプレッシャーが強かったです。しかも、いただいた米もみは、実があまり入っていないものが多く、選別段階で、普段だったら、使えないものを使わざるを得ないような代物でした。
それでも、何とか種をまき、移植(田植え)をし、成長し、穂がつき、収穫に至ったこと時の満足感は他の何物にも変えがたい、感動をいただきました。以後20年ほど、変わらぬやり方で米作りをやり続けました。
日本人の心の原風景
日本人が海外へ赴き、久しぶりに日本に帰ってくるような状況にあるとき、日本の空港に着陸する前の飛行機の窓から見える、田園風景を見て、「ああ、
生まれ故郷の日本に帰ってきたなあ。」と実感する事は、稀なことではないと思います。日本人の心の中に、黄金色に染まった水田、秋風にたなびく稲穂や、稲わらの匂いが深く入り込んでいるからなのでしょうか。
そんなロマンチックな感情に浸る一方で、実際、農作業にいそしんでいる人は「こんな割の合わない仕事はいつまでつづけられるのだろうか」と悲観的な気持ちを持っていることがあると思います。「お金を稼ぐだけならばもっと効率の良い仕事があるのに」「おこめは他でかったほうがいい」などと割り切りたい。だけど、そうはいかない。単純に割り切れないのである。それだけ米作りは奥が深い。古代から延々と続いてきた、農地の整備、きっちりと収穫する為の道具の改良、いかに効率よく作業が進められるようにする工夫、水路の管理等、何代にも続けられてきた英知の結晶がこうして、我々に安らぎを与えてくれる風景を生み出していると思う。
田舎育ちではないものの私論であるが、「なにをねぼけたことをいっているのか!!」という生活の糧としている生産者にたいしては、反論は出来そうもない。
けれども、水田はそこから稲を収穫するだけの存在価値であるだけじゃない。荒れた水田はやがて、雑木に覆われ、水田であったときのような保水力を失う。
村落と里山をつなぐ干渉機能を失い、野生動物と人間との軋轢を生む。稲を作ることによって成り立っていた村落共同体機能がなくなる、等々。
もしも、第2次、3次産業のような企業論理を稲作に求めようとすれば、この心の風景は効率の悪い水田諸共吹き飛んでしまうような気がする。
もちろん、効率性を求める米作りを否定するつもりはない。日本の農業の将来を考えた場合には必要不可欠なものと考えます。ただ、それとは別物の、日本の風景、文化、伝統を守る、もうひとつの農業がクローズアップされてもいいのではないか。たとえば、体験農園などの観光を結びつける、第6次産業とも呼ばれる方法で、水田耕作に係わることを生産することだけを目的とせず、新しい農業の形を大胆に進めていってもいいのではないかと考える。
何とか、効率だけでないところを正しく評価していただき、いつまでもほっこりできるような日本の風景であってほしいものだ。